テツキドウ

2006年02月25日

category= semi

卒論1本紹介。(今後、断続的に、つづく、かも。)

U君は、岐阜市の廃線後の路面電車の軌道をとりあげた。といっても、最近よくある「路面電車によるまちづくり」みたいな結構なお話とはちょっと違う。廃線によって用を失った「鉄軌道」というモノが、しかしなお都市に何かを及ぼし続けているということをクローズアップした研究なのである。

路面電車は、「道路」という空間を、電車が自動車・自転車・歩行者と併存しながら走るものなので、その限られた空間に棲み分けの作法が成立して秩序化されていたと彼は言う。その電車がなくなり、たんなる鉄(鉄軌道)が残されたのに、その秩序は厳然として生きているのではないかということを、U君はなぜか見つけた。

たとえば自動車は普段は軌道を避けて走り、右折が近づくと侵入し、軌道上を「右折レーン」として利用するが、これは電車が走っていたときと同じ。まるで透明の幽霊電車が走っているみたいに、道路が秩序を維持しているのだという。少し周辺部に出ると、住宅の立ち並ぶ目の前に軌道が走る。こういうところでは、車をバックさせて軌道を横切らないと「車庫入れ」ができないし、「車庫出し」はその反対。それが日常なのだ。軌道は、電車を走らせるということ以外に、さまざまな「作用」を都市に及ぼしているらしい。

U君は無用の軌道に沿って歩き、その「作用」のサンプルを丹念に集め、きれいに図面を描き、メモを入れ、さらに聞き取りを重ねた。ほとんどの人は、無用の軌道を邪魔だとは思っていない。軌道の「作用」に対応して蓄積された「作法」をたんたんと反復すればよいからだ。軌道はちゃんと都市に埋め込まれている。

ところで軌道は、文字通り「埋め込まれて」いる(道路に)。そのへんの所有関係ってどうなっているのだろう。道路は官有地だから、路面電車経営者の名鉄(名古屋鉄道)は、道路用地のなかから、細くて長くて切れ目なくつながった土地を借りて、そこに自分の所有する資産(軌道のことです)を埋めて、使用するのだ。そして、借地人である名鉄は、廃線の場合この私有資産を(自分の負担で)撤去しなければならないことになっている。

これに対するU君の最後の主張はきわめて単純だがそれなりに繊細なものになっている。無用の軌道は、危険性の高い(「作法」を形成しにくい)「作用」を及ぼしている部位のみを丁寧に選り分けて撤去し、他は文化財として「無用」のまま残して、軌道の「作用」と人々の「作法」を存続させる。そうして15年後か30年後の路面電車復活に備えよ、というもの。日常的に踏みつけられることで何かを伝える文化財。

実際には、撤去して新設した方が安いか、維持して活用した方が安いかは分からない。しかしそんなものは計算できるのだろうか。計算するのなら、都市が蓄積した「作用」の記憶を復活させるのに人々が払わなければならないコストをも、算出すべきなのだろう。

しかしまあ、何よりもテーマの「地味さ」によく耐えてまとめあげたと思う。完成度も頭抜けていた。

投稿者 aoao