「うわもの」って何?  区画整理雑考

2005年12月08日

category= research

今年はゼミで区画整理の街をテーマにしたので、区画整理について色々考えさせられる。

日本の市街地の1/3は区画整理でできています。これはたいへんな数字です。それから、災害 → 復興=区画整理、というのが日本の近代都市計画を特徴づけるパタンです(20世紀末の神戸の震災でも反復された)。そうして基盤整備をやってはきたけど、その立派な基盤の上にどんな街ができあがってきたかと聞かれると、何だか誰もイメージが持てない、あるいはサブカルチャー的な評価しかできないというのもまた、日本の現代都市の特徴です。

インフラと建築とのギャップ、断絶がすごいのです。見事に切れていて、ただライフライン(水道とか電気とか)だけで接続されている。だからそのプラグを抜きさえすれば建物は土地とのつながりを失うし、同じ敷地に、明日には全然違う姿の建物がプラグをさして建っているということが日常茶飯事。もちろん、ついに崩壊した土地神話と、とめどもない規制緩和の連続がこの構図を強化してきたということになるのだと思います。

でも「インフラと建築のギャップを埋める」と発想してしまうと、どこかぎこちなさが残ります。インフラ/建物という線の引き方自体が相対化されていないからです。

だって、アジアでもヨーロッパでも、建築の戸境壁までがインフラだとみなせる都市は多いですよね。そうなると、建築への関わり方は我々と同じではありえない。都市のあり方にも隔絶たる開きが出てきます。住み手がやれること/やれないこと、私/公、建築家/都市プランナー・・・、これらの境界線が全部ちがってきますからね。境界線というのは接触面でもあるから、質や階梯の異なるものが出会う、その出会い方(これこそ都市ともいえる)がちがうということでもある。

別の例とも比べてみましょう。昔の市区改正は、道路用地だけを行政が買収するので、宅地の再編は勝手にだんだん進むことになっていて、ということは民の力が宅地自体をつくり出すことができる。いいかえれば、宅地と建物を一体的に考える余地がある。これに対して、区画整理は道路・街区だけでなく、個々の宅地までつくってしまう。つまり公共権力がGL(地表面)までのすべてを面的に整理してしまい、GLから上は勝手にしてくださいということになる。ディベロッパーも住み手も、自分では土地をデザインできないが、土地との縁組みが決まれば、その上は何をやってもいい。つまり区画整理は、地表面のすべてを公的にインフラ化してしまい、かつ、そこに公と民の営みの臨界面をつくり出してしまう技術=制度なのです。

こんな風にいちいち愚鈍に考えてみると、区画整理の特質がみえてきます。原理的に、「街」をつくることに向かない制度・技術だということです。「上物(うわもの)」という、この何となく胡散臭い響きのする言葉も、歴史的な起源はどうか知らないけど、論理的には「区画整理」の対応物だと考えるのが一番ふさわしいと思います。

ちょっと話は変わりますが、区画整理そのものもずいぶん変質してきたんだなあということを強く感じました。だいいち区画整理は、土地神話を前提として働いてきた技術・制度。だって、地価上昇分が、地権者の負担や事業費を相殺する仕組みだからね、すごく賢いけど資産価値が上がらないときにはたんにフィジカルな計画技術になっちゃって、民間施行なら破綻するし、自治体施行なら行政コストが膨らむ。

それから、住民参加とか、景観形成とか、以前はなかったようなことを区画整理地区でもやる。ワークショップで景観ガイドラインつくったりする。でも、「うわもの」は自由放任だったはずなのに、そこに「景観」という概念を被せるのはあまりにも唐突です。

投稿者 aoao