岡崎学講座、やってきました。
2005年11月19日
20051119 Sat. 先月から「岡崎学」と題する連続講座がはじまって、僕も一回やれということになっていたのだけど、それを今日やってきました。
(注)岡崎は、近世城下町に起源をもつ愛知県中部の人口34万人の中核都市。
しかしまあ「岡崎学」なんてものはないわけでして、ちょっと待ってよ、というか、何となく困ったなあと、正直言って憂鬱でした。難しく考えないで岡崎の魅力をひとつ紹介くださいなと事務局からは言われてたんだけど、でもなあ。
などと思いつつ、しかしまあ、たとえば「建築学」だって存在しているかと言われたら怪しいので、前向きに地域学をつくるとしたらこんなことを考えていきましょうよという話をした。といっても、僕が岡崎に来て3年半のあいだにゼミとかものけんとかでやってきたことしか根拠はないんだけど。それでも僕らの足跡を通していろいろ都市の見方は提供できる。それくらいの作業はしてきたつもりでございます。

これ、1970年代に撮影された岡崎中心市街の一部。木造密集市街地のなかにいびつな図形が組み込まれたようになっていますね。刑務所などの法務関連施設です。このヘンテコなかたち、実は岡崎城のお堀の輪郭なんです(写真では切れていますが、ホントは天守が下にあります)。
城下町というのはなかなか面白い都市でして、明治維新とともに城地と武家地が官に没収されると、城山公園と公共施設群用地に転換するので、日本の主要都市の中心部には、緑の丘と公共機能が集約された、意外に成熟した都市核ができたのです。でも高度成長期以降、人口増加と土地高騰とモータリゼーションに耐えられず、公共施設を郊外に移転させてしまった都市が少なくありません。岡崎の場合も、上の法務関連諸施設の他に、図書館などの文教施設がありましたが、すべて放出してしまいました(涙)。城下町の構造的遺産を継承できなかったのです。
ところで、空襲でやられて区画整理をしたために碁盤目状の街路ができあがっても、お堀の線はしぶとく残って写真のようになりました。1970年代の市街地再開発で土地の一体的な開発が進められてビル化しましたが、今日でも痕跡が残っています。そのビル群が30歳ほどになって(僕より若い!)、今またひとつひとつ失われようとしていますが、今後もお堀の線は人知れず生き残るでしょう。
時間の流れには、いくつもの層に分かれた伏流水みたいなものがあって、どれも寿命が違う。私たちはその一番上の、一番短い時間の反復だけを、しかも反復とすら気づかないで、追いかけているにすぎません。都市というものへの付き合い方が、本当に分かっていないのです。
