田植え
2005年05月05日
僕は人口4〜5千人ほどの山間部の小村で育った。時間があれば田植えの時期には手伝いに帰る。今年は5月4日が田植え。
村には自立できるほどの大規模な農家はない。我が家も零細な兼業農家。農業の赤字を、給与所得で補填している。人件費をカウントしなくても赤字だが、機械を導入するのでさらに赤字。田植機にせよ、稲刈機にせよ、1年に1日(数時間)使うだけで、あとの364日は倉庫に眠っている。自分の家で食う分の米は確保して、あとは売りに出すが、20〜30万円ほどにしかならない。機械は1台数十万〜百数十万円するから、ホントにアホらしい。
そんな調子でも、親父は意外に喜々としている。どうやら田植機を操るのが楽しいらしいが、それだけではない。いずれにせよ金銭的な収支を超えた世界が、たしかにある。なければみんなやめているから、これは絶対的な事実なのだが、陳腐にならないように説明するのは難しい。
いろいろ話をしてみると、どうやら農業というのは毎年小さな課題がいくつも見つかって、次の年はそれに取り組むという性質のものらしい。課題はいろんなところに見つかる。しかも、毎年必ず宿題が見つかるところをみると、どうやらすべての修正が課題の超克に確実に貢献し、ひとつの理想型に向かって収れんしていくというものでもないらしい。大きなタイムスケールでみれば実践の結果はゆっくりと堆積していくが、個々の課題は、個々の実践に対して派生的なのだ。親父も大金をつぎ込んでそれを楽しんでいるのかと思うと、何だか妙に垢抜けた老後のようにも思えてきた。
ところで、写真のむこうに見えているのは、たしか20年ほど前にできた住宅団地。ウチの村、過疎化しているのに人口が変わらないのは、小さいながらも企業城下町トヨタのベッドタウンになっていっているからだ。我が家の目の前にある小学校は、僕が通っていた頃、全校60人前後だったが、その後、250人くらいにまで膨らんだ。僕の頃は複式学級(1年生と2年生が一緒のクラスで勉強するとか)だったが、1学年2クラスになった。
ところが近年、再び児童数が急減した。聞けば団地の子供たちも、もうほとんど卒業してしまったという。ヘンな話だが、よくあることだ。団地全体で、住人の世代層がよく似通っているのである。子供が多かったのはたかだか15年くらいのものだが、そのために僕が通っていた木造の校舎は取り壊されて、何だかおおづくりな鉄筋校舎に変わった。今は空き教室だらけ。僕らがよじ上って遊んだ「むくろじ」という大木を子供に見せられたのがせめてもの救い。
こういう奇形的な変化のピッチは、田舎でもけっこう速い。そのかたわらでは、赤字の兼業農家が田んぼをやめずに粛々と仕事をこなしている。今年もまた小さな宿題が見つかったことを喜びながら。
