台北 − 100万人の図像学
2005年03月26日
去る3月14日に中国全人代が採択・施行した、いわゆる「反国家分裂法」に対する抗議デモが、3月26日に行われました。総統府前の広場に100万人を集めようと、総統自らが呼びかけた異例のデモです。目標値を大きく下回るのではないかとの懸念もありましたが、一方で、実際に100万人が集まる場合、台湾全国から首都台北に集結してくる人々を、都市は自らに混乱・麻痺を来さぬように処理しうるのか、ある意味で興味深い実験でもありました。
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写真は東門より中山北路を。この道路は、植民地時代には「勅使街道」と呼ばれ、剣潭山麓の台湾神社境内に向かって、天皇の勅使や総督を中心とする行列が北上した。2本の植樹帯によって道路を3本の帯に分けた「三線道路」の景観は、台湾の植民統治の象徴でもあった。
総統府、すなわち旧台湾総督府(1919竣工)前の広場の模様。歴史的意味が濃密に充填された空間の収容力は、せいぜい30万人。100万人が参加すれば、溢れ出す人の方がむしろ大多数になります。
主催者・民進党の計画(←リンク先が変わっちゃったのでリンク消します:20051210追記)は、市内(一部市外)に指定した10カ所の集合場所に、出身県等により人々を振り分け、そこから総統府前を目指すというものでした。
各々約10万人のデモ行進が、10本のルートに沿い、ひとつの場所を目指して都市をねり歩きます。
僕も第7のコースに参加しました。大安公園が集合場所。近くで昼食を食べ、14:30出発。
地方からの参加者は、各種の団体あるいは議員などが手配した観光バスに乗って台北に集まりました。市内にはいたるところ大型バスが路上駐車し、デモの終了を待っていました。
各コース、4〜6Kmほどを歩きます。水は必需品だけど、腹も減る。沿道の店もしたたか。「独立ビール」を売る露店も。
我々第7ルートの集団は、16:15頃には総統府前が見えるところまでたどりつきました。そこから先は、すでに群衆が埋め尽くしていて進めなくなりました。計画図を見ると分かりますが、10の集団は、総統府前広場への5つの入り口に集約されます。広場が収用しきれなかった群衆は、5つの口から延々と尾を引いていたわけです。
1枚目の写真は、実は5つの尻尾のひとつを、旧台北城の東門から撮ったものです(集団から離脱し、群衆を掻き分けて総統府前まで進み、東門前に設置されたTV撮影用の足場によじのぼりました)。
総統府前広場という明確に定義づけられた空間を焦点としながらも、そこから70万の人々が溢れ出すという条件を組み込み、むしろ都市全体をデザインすること。最後にあらわれた群衆のかたちを、もし上空から眺めることができたら、メドゥーサの髪=蛇がうごめくかようなデモの軌跡が、消えてしまわずにかたちをとどめていたはずです。
総統ら主催者側(民進党等)は、参加者数を「100万人以上」と発表しました。他方、国民党の次期党首をねらう台北市長・馬英九の発表は、「27万5千人」。政党間の闘争やら、国民党内の党首選が、そのまま数字にあらわれます。国民党側の発表があまりに過小なのは見え透いていますが、こういう情報操作は一見すると馬鹿馬鹿しいようで、実は支持者にレトリックを提供し、日常的な会話のなかへ浸透して意外に力を持ちます。
しかし肝心なのは、このデモが、想定された100万人を台北の都市空間全体にいくつもの線を描いて展開させたことにあると思います。それがたしかに驚異的な光景であったことは間違いありません。総統府前のビルの屋上に陣取ったカメラマンたちといえども、10頭のメドゥーサの全貌をとらえられるはずはありません。我々が、たまたま隣の道路を別ルートの集団が並行して進むのをかいま見た瞬間の方が、あるいはよりたしかな全体をとどめていたのかもしれません。
強者どもが夢の跡。郷里へ帰るバスが見つけられず、路頭に迷う人も大勢いたそうで。
メドゥーサは見る者を石に変える恐ろしい化け物ですから、この喩えはよくないですかね。でも、それくらいの迫力があったと思いますよ。メドゥーサの図像に収まることをやめて暴走をはじめてしまったとしたら、そのときの群衆はもっと恐ろしいのでしょうが。
なお、中国のメディアは、今回のデモについて台湾民衆から非難の声が相次いでいるとの報道をしています。日本ではあまり大きな報道はしないでしょう。これらも情報操作ですから。念のため。
