国家と祭祀
2004年09月23日
子安宣邦『国家と祭祀 − 国家神道の現在』青土社 2004
戦前日本の国家体制から神社神道を切り離して救出しようとする研究傾向には根強いものがあります。戦争中のあの宗教的熱気も、国家が神道を曲げて利用しただけだと捉えたい人たちが大勢いるのです。
僕が博士学位論文でやったのは、神社を都市のなかでとらえる、もっといえば神社を都市施設と見ることから、日本的な植民都市のモデルを抽出しようという試みなんですが、それは神社神道の宗教的側面をいったんカッコに入れて、世俗主義的側面(社会・制度・技術)へと解体していく作業になっています。子安さんも書いているように、国家神道とはあくまでも世俗主義的近代国家としての日本が、そのうちに祭祀体系を組み込んだものであって、だからその祭祀体系のすべては国家の世俗主義的側面の隅々にまで結びあわされている。具体的には、住民行政はもとより、土地、森林、砂防、都市計画、公園といった様々な行政分野を思いおこせばよいと思います。神社はこれらと固く結びついて存立していましたし、他の宗教一般とは異なる特権的待遇も、実はこういう世俗的行政諸分野での差別化として担保される他ないのです。そういう検討を展開すると、近代日本の都市と国家がよく見えてくるはずだと思ってやってきました(研究そのものは2000年で区切りがついていますが、2005年新春に単行本として刊行の予定です)。
ただ、やっぱりちょっと危険なんですね。国家体制との結びつきをすべてそぎ落とし、切り離していけば、救出すべき神社神道が見えてくるという、根強い右翼的図式に利用されかねないですから。子安さんのこの本は、この図式を原理的にしつこく批判しています。
でも、世俗的側面のなかには、(決して強調してはいませんが)アノニマスな都市住民の生活なんかも入れているつもりです。そういうわけで、いまやっている台湾の研究は確実に成果をあげないと、と思っています。
