金門 − 開かれ、閉ざされた島
2004年08月17日

金門についての必要最低限の予備知識
*参照:金門縣政府, 認識金門
*写真は砲弾に傷つく洋館とミンナン建築の宗祠
●金門は、台湾とは270kmほど離れ、一方、大陸側の廈門(アモイ)や南安からはわずか数kmという位置にある群島です。行政上は中華民国(台湾)の福建省金門縣。人口6万。中心は金門島の金城。
●福建省の「ミン江」という河の南を「ミンナン」といます。金門にはこの地域の人々が古くから移り住んで定着しています。台湾への漢人移民は17世紀以降と遅くなりますが、その故郷は、同じく大陸の福建省が圧倒的で、金門出身という人も少なくありません。つまり、大陸福建省から台湾まで「ミンナン文化圏」の拡がりをみることができ、この地域の人は(訛りの壁はかなり高いようですが)互いに「ミンナン語」(台湾では「台湾語」とも言われる)で話をすることができます。
●1840年の廈門(アモイ)開港とともに、金門は東南アジアへ華僑を送り出す拠点となり、そのため反対に東南アジアから植民地の文化・技術が還流しました。
●ただし、1895年に台湾が日本の植民地となった時、金門はその範囲に含まれていないことに注意してください。20世紀の前半まで、金門は、日本を経由せず、東南アジアの植民地世界と華僑ネットワークを介して、世界に開かれたわけです。
●1945年に第二次世界大戦が終わると、中国では国民党と共産党の内戦がおこり、南へ押された国民党軍がようやく踏みとどまったのが金門でした。同時に、国民党は日本敗戦により政府不在となった台湾にも入ります。その結果、中華民国の領域には、台湾省とともに福建省の一部(金門と媽祖)が含まれることになったのです。
●金門と大陸とのあいだの海峡は、それ以来、国・共双方の放つ砲弾が飛び交う「前線」となり、戦争状態が続きます。金門は、台湾人も自由には入れない、厳重に閉ざされた島になったのです。
●2001年、この状態はようやく大幅に修正され、昨年から日本人も出入りできるようになりました。
僕にとって重要なのは、ミンナン文化圏にあり、中華民国の領域内にあり、しかも日本の植民統治を受けていないということです。台湾都市にとって、日本の植民地支配がどのような意味を持つのか、金門はそれを逆照射する装置になりうるはずです。
