歴史の話

2004年06月08日

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網野善彦+鶴見俊輔『歴史の話』朝日新聞社 2004
対談集。網野善彦がどういう意識で「無所有」の側から日本史を再構築しようとしてきたかがよく分かる面白い本です。皇國史観やマルクス主義との関係、戦前と戦後の連続、高度成長という断絶など。網野さんは1928年生で、今年の2月に亡くなられたところ。

「所有」から外れた場所に、いろいろな意味で固定的な「所有」からズレた人々やモノの動きがある。そこをクローズアップすることは、土地税の上に組織された体制から相対的に自由な世界の広がりを示すことであり、また一方では無所有の場のつながりとしての(国を超えた)地域間交渉を見ることでもあります。

網野さんの『無縁・公界・楽』(平凡社 1978)の書名にある3つの言葉もみんな「無所有」のこと。この本について、中沢新一から「網野さんのやっていることは、結局は資本主義になるね」と言われたそうです。贈与・互酬とは異なる、共同体をこえた商品交換は、モノをいったん「無所有」のものにすることではじめて成立するし、市場はそういう力をもった「無所有」の場だから。

ただし、ここは単純ではなさそうです。

「無所有」の場こそが、モノを交換可能にするとも考えられる一方で、交換がはじまるところに「無所有」の場が瞬間的に立ち上がる、と考えることもできるからです。つまり、はじめから資本主義のように均質空間を想定することはできなくて、網野さんが描いたように星雲状態に明滅する仮設的な場を、事後的に見届けられるにすぎないのではないでしょうか。こういう仮設的な場がやがて常設化したり、為替や貨幣によって、文字通りの「無所有」の場所でなくとも、どこにでも「無所有」の場をつくれるような潜在的なシステムになっていくプロセスを、たぶん中沢新一は指摘したのでしょう。

それに関連して、こういう仮設的な場は、権力がつくり出した交換においても立ち上がるもので、こういう世界は必ずしも「無所有」の側の人々だけのものではないという気もします。ある意味では、「所有」の側の論理が契機になって、「無所有」が生み出される瞬間もあるのではないかということです。そこではただモノが移動するだけでなく、支配者の側も、被支配者の側も、どちらの「所有」とも言えないようなものを予期せず生み出してしまうリスクをはらんでもいるでしょう。たとえば植民地の問題を考える面白さはそこにあると思います。

一方、近代の土地私有制を考えればすぐに分かるように、反対に「所有」こそが交換の前提だともいえます。売買は仮設的な「無所有」の場でおこるかもしれないけど、「無所有」の場所そのものは、誰も売買できません。土地バブルもない。明治政府がすべての土地を誰かの「所有」にしたので、その交換(つまり開発)が可能になったわけです。「無所有」の場を消すことで、逆に「無所有」の場はどこにでも立ち上がる潜在的なシステムの問題になった、とも考えられます。

どうやら、「所有」と「無所有」は裏返しにくっついているみたいです。

投稿者 aoao