取材10 安城 凧はとても構造的です。
2005年05月27日
桜井凧。
10:30に安城市歴史博物館をたずね、桜井凧の展示を担当された学芸員の斉藤さんにお話をうかがい、凧の世界の奥深さにうなる。午後は素麺づくりの取材(別記事参照)をはさみ、15:00より桜井凧保存会のみなさんにお集りいただいた。楽しさとプライドがひしひしと伝わる。わがままを言って、矢作川の河川敷に立ち、広い広い空に桜井凧(福助)を揚げた。

写真は保存会で技術指導にあたる下平さん。凧づくりの専門職だった生前の岩瀬仙松さんについて学んだことがある。河川敷ではわれわれに凧揚げの指導もしてくださいました。

歴博の斉藤さん(写真)によれば、東海地方の凧の分布は、名古屋=尾張藩を中心に西三河まで拡がる「袖凧文化圏」と、東三河および静岡県全域におよぶ「初凧文化圏」に分けられる。
「初凧」というのは、男子の健康な成長を祈り初節句に際して揚げるもので、形態的には角凧が多く、大型化の傾向もある。浜松などでは各町内が凧揚げのスペシャルチームを持ち、町のエンブレムを描いた凧をあげるという。町共同体の成熟に興味をそそられる。
一方の「袖凧」は、風を集め受けて凧を安定させる「風袋」(=袖)と呼ばれる立体的なふくらみを左右に持つタイプ。このタイプは、尾張名古屋を中心に、形態も運動もさまざまに開発されてきた。たとえば虻の形=「アブ」(形態)と、左右に揺れながら上昇する動き=「ベカ」(運動)を組み合わせて、「アブ ベカ」などというように。また、近世の武家が隠居後に火鉢の上で揚げて楽しむという、重さ何グラムとかいう小さな凧なんかもあって、凧の運動性能は微細な開発にたえうる潜在的多様性を持つらしい。
安城の桜井凧は、こうした名古屋の古流凧を基本に、どちらかといえば形態面での多様化によってバリエーションを増やして来たことに特徴がある。その極めつけは、なぜか菅原道真公の横顔を象った、左右比対称の「天神」というタイプ。
考えてみれば凧は、構造と形態と、さらに運動の3つの側面の複合なのだった。その複合性が、開発の多様性を担保すると同時に、社会・文化に結び合う人類学的構造性となって現れるのに違いないと思った。

